書評

永久(とわ)に生きるとは--シュメール語のことわざを通して見る人間社会           
                                  室井和男著
                 
                 柳澤輝行(東北大学大学院医学系研究科分子薬理学分野教授)
 本書はシュメール語で書かれたバビロニアのことわざを一般の読者に紹介しようと考えられたものです。シュメール人は紀元前3千5百年頃にメソポタミアの最南部に都市国家を建設し、楔形文字を発明し、世界最古の文明を築きました。その後、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、その言葉は死語になりました。
 古代メソポタミアの書記たちは、紀元前2千年以降は死語となったシュメール語を、ちょうどラテン語のような学問語として学び、仕事として用い計算にも用いていたそうです。格言やことわざを、時には宮廷高官の権力闘争批判をあえてシュメール語で書いた当時の書記たちは自分たちの学問を愛し、その職能におおいに自負心を持っていたと分析しておられます。
 格言から浮かび上がってくる、人と人との関係、家族や男女の問題、お酒、借金、泥棒、そして戦争の不条理と悲惨を読むと、著者ばかりでなく「人間の本質的な点に関しての進歩」にはおおいに疑問を待たざるを得なくなります。また、「人類の進歩とは科学技術の進歩であったと言えるかもしれない」ともあります。まさに、本質的な知恵は教えて伝えることができないのではないかともいえます。
 このように書いたからといって、決して堅苦しい格言集ではありません。著者自身による楔形文字とその読みや長く見ていてもあきないイラスト、人生観、特に母上への思慕が全編にちりばめられています。また、「分別:計算を知らない精神は分別を持った精神か」とかかげる一方で、「『数学を学んだ人は、分別をもった人になる』という命題は偽である」と、ご自分を揶揄してもおられます。
 筆者は長い予備校講師活動の後、現在著作生活に入られたとのことです。その覚悟を後押しし、これからの前途を祝うかのように、『バビロニアの数学』で2010年日本数学会出版賞を受賞されておられます。授賞理由は「古代バビロニアの数学史についての、国際的に見ても高い水準にあるすぐれた研究成果を、一般読者にも読みやすい文章で著し発表した」です。著者は数学がわかり、シュメール語、アッカド語を解する世界でもまれな存在です。そこまでになられたのは、バビロニアの書記の人格に共鳴し、琴線に触れることが多かったためと推察します。本書の末尾に「バビロニアの書記の知的水準は現代人の平均を上回ると思われる」とも書かれています。付録として「シュメール語とは」を設け、文献を明示し、同好の士、学問の継続をもねらっています。なかなかしたたかですね。
 「流行物は廃り物」。論語2千5百年と比べて、シュメール語はなんと5千年。どうぞ本書を手にとって、はるか古代の誇りある人々の声に耳を澄まそうではありませんか。